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メディア――そこは最後のフロンティア。

ここはクイズ形式の例題を読み解いてみることで、
ネットやメディアに潜む罠について考えようというサイトです。
初めての方はぜひ「ご挨拶」を。
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例題
かつて相原コージの漫画『コージ苑』にこんなネタが掲載されました。

お父さんが珍しく、LDデッキを買いました。デッキを買った後は当然、ソフトを買いたくなります。お父さんがどのソフトを買うか悩んでいる時に、お母さんがこんなことを言い出します。

「ほら、『グーニーズ』のLDソフトを売ってるわよ! 家の子供が持ってるファミコン・ソフトだって『グーニーズ』なんだからこれを買いましょうよ!」


ここがおかしい――
いや、もう全てがおかしいですね……。

敢えて言うなら「家にあるファミコン・ソフトと同じタイトルのLDソフトを買っても、特に何のメリットもない」というところでしょうか。しかしきちんと反論すると、意外とすっきり論破出来ないものです。

ちなみに『コージ苑』作中では、このお母さんの無茶な発言を脊髄論法と評していました。


解説
あまりに論理整合性がない、理屈になっていない理屈は、意外とどこが理屈に適っていないか説明し辛いことがあります。

相手が間違った主張をした場合、通常はまず相手の言わんとすることを理解した上で、その矛盾点や見落としを指摘します。

A「犯行が起きた時間帯、容疑者にはアリバイがある」
→「だから容疑者は無実だ」
B「いや待て。アリバイがあっても、あらかじめ時間が来れば拳銃が発射されるように仕掛けておけば容疑者にも犯行は可能だ」

しかしあまりに破綻した理論の場合、そもそも相手の言わんとすることが理解出来ないわけです。

A「家にファミコン・ソフトの『グーニーズ』がある」
→「LDソフトも『グーニーズ』を買いましょう」
B「……え、何で?」

矛盾点や見落としを指摘しようにも、まず相手の破綻した論旨をこちらが補ってやらなくてはいけません。

A「家にファミコン・ソフトの『グーニーズ』がある」
→「LDソフトも『グーニーズ』を買いましょう」
B「あなたはファミコン・ソフトとLDソフトが同じ『グーニーズ』だという」
→「だから買えと言う」
→しかし同じタイトルであるからといって、どんな得があるのか。何の得にもならない以上、だからとは言えない」

もっとも、きちんと説得しても相手がそれを理解出来ない(または理解したくない)のではどうしようもありません。なるべく簡潔に、一言で言えるとよいでしょう。

同じ『グーニーズ』だからといって何の得があるんだよ」


筆者の見解
上記のお母さんは単に何も考えていないだけですが、ある程度知恵が回る人であっても追い詰められると居直りや強弁に打って出る場合があります。こうした場合、状況が許せば相手を論破するのをあきらめるのも一つの手です。第三者から見て、相手が強弁をしていることが分かればそれでよいことも多いように思います。

しかし例えばです。殺人事件がテレビで報道され、まだ容疑者が見つかってないとします。こうしたケースで「テレビで第一発見者の顔を見たが、別の事件の犯人にそっくりな顔だった。だから奴が犯人に違いない」などとブログに書く人がいたらどうでしょうか。また読み手の中に、うっかりそうした“脊髄論法”を真に受ける人がいないと言い切れるでしょうか。

さらに言うなれば。私もあなたも、人間誰しもが、日常ついついこうした脊髄論法やってしまっているのではないかと。あなたも思い当たりませんか?

・「俺の嫌いな上司は□□町の出身らしい。□□町の人間にはろくなやつがいないな」
・「いつも見ているテレビに出ている評論家が選挙に出るんだって。投票してみようかな」
・「俺は○○の出身だから、地元○○の野球チームを応援して当然だろ」

そして一昔前はまず人目に付かなかったような脊髄論法が、ネットの出現で伝播し易い環境になっている現状について、もう少し注意を払う必要があるかも知れません。


演習
以下の文章を読んで、どこが破綻しているかをかいつまんで指摘してください。

1・「私はTV番組の『○○』が嫌いです。出て来るタレントも取り扱う題材も面白くありません。なのになぜ『○○』は打ち切られないのでしょうか?」
2・「もうファミコン・ソフトだって発売してないのだから、今さら『グーニーズ』の新作ソフトがスーパーファミコン用に発売されるなんてあり得ない」





※解答例はこちら。
1・「どんな番組だろうが、そもそも自分が嫌いだからってだけで打ち切られるはずがない」

嫌いな理由云々は論旨の上では全く意味がありません。

2・「“SFC用のソフトでさえ発売されていないのにFC用ソフトが発売されるわけがない”と言うことなら出来るが、“FC用のソフトでさえ発売されていないのにSFC用ソフトが発売されるわけがない”と言うことは出来ない」

正しい例を示して違いを比較することで、どこが間違っているかが簡潔に指摘出来ます。
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例題
3年2組の田中君が、給食で余ったプリンをこっそり自分のものにしていたことが学級会で報告されました。鈴木君はこの時、やたらと田中君のことを悪く言いました。

ところが次の日の学級会で、その鈴木君も1人だけこっそり給食で人気のカレーをお代わりしていたことが分かりました。田中君はここぞとばかりに反撃します。

田中君「ほら見ろ、鈴木君だって僕と同じようなことをしていたんじゃないか。鈴木君は悪い奴だ。それに鈴木君がそんなことをしていた以上、誰も僕のことは悪く言えないはずだ」

何かがおかしいようですが…。


ここがおかしい――
田中君は、鈴木君がしたことと自分がしたことは同じようなことだと認めています。なのに鈴木君は悪いと言い、自分は悪くないと言っています。


解説
自分と同じようなことをした相手のことは悪く言いつつ、同時に自分は悪くないと主張する。まさしく一挙両得の論法です。

田中君の主張は以下の2つに分けられ、互いに矛盾しています。

a・「(鈴木君だって同じようなことをしているのだから)鈴木君も悪い」
b・「(鈴木君だって同じようなことをしているのだから)それは別に悪いことではない。だから自分は悪くない」

田中君がa,bのうちどちらか片方を主張することは出来るかも知れません。しかしそのどちらであれ、「鈴木君だって自分(田中君)と同じようなことをしている」ということを前提にしています。鈴木君と田中君のしていることが“同じようなこと”なら、「鈴木君は悪い」「自分は悪くない」という2つの結論を同時に導き出すことは出来ないはずです。

もう一度整理すると、

a→給食の残りを勝手に貰うのは悪いこと。
b→給食の残りを勝手に貰うのは別に悪いことではない。

と、それぞれ別の価値基準を基にしているわけです。ここに矛盾があります。その時々に応じて自分に都合のよい価値基準を選択する、いわゆるダブル・スタンダードなのです。


ちょっと待った!
くどいようですが、あくまで鈴木君と田中君は同罪もしくは両方無罪です。「鈴木君だけがよくて田中君が悪い」という結論も間違いです。

なお今回、田中君は自分のしたことと鈴木君のしたことが“同じようなことである”ことが前提です。しかし場合によっては本当に両者を同じようなことだと言ってしまっていいのか検討する必要もあるでしょう。


筆者の見解
もし鈴木君が何も悪いことをしていなければ、そもそも田中君のやったことが悪いかどうかだけが議論の対象になったはずです。田中君がペナルティを受けることはあっても得をすることはありません。しかし「鈴木君が同じようなことをしていた」という全く別個の問題が絡んでくることで、田中君は「鈴木君は悪い、僕は悪くない」というかなり有利な、けれど間違った主張が出来てしまったわけです。

あなたが鈴木君の立場である場合はもちろんですが、第三者である場合にもこうした論法が用いられないか気をつける必要があります。でないと田中君の“やり得”を許すことになります。ネットのブログなどで、今回述べたような論法を見掛けたことはないでしょうか? 注意してください。

※以下、個人的な経験だとお断りした上で。新聞や雑誌などを注意して読んでいると、この手の二重基準論法を政治家や評論家などがしていることがあるようです。その場合、今回のように2つの主張を同時にすることはさすがにありません。ある日ある事柄に触れる時と、別の日に別の事柄に触れる時で、価値基準を摩り替えるわけです。時間差があるので気付きにくいのが難点です。詳細はまた後日。


演習
以下の一文を読んで、問題点がないか検討してください。

佐藤君「山田君は僕が山田君の漫画を断りもなく3冊も読んだと言うが、山田君は僕の漫画を断りもなく5冊も読んだ。2冊も多いのだから、悪いのは僕ではなく、山田君だ」




※解答例はこちら。
・「佐藤君が山田君の漫画を勝手に3冊も読んだ」
・「山田君が佐藤君の漫画を勝手に5冊も読んだ」

という別個の罪があるだけです。単純に「5冊と3冊では5冊の方が多いのだから、差し引きで山田君は佐藤君の漫画を2冊読んだことになり、佐藤君は無罪放免」などと考えてはいけません。仮に佐藤君と山田君がケンカして、山田君が3ヶ月のケガを、佐藤君が5ヶ月のケガを追ったからと言って、佐藤君が無罪放免になるでしょうか?

またこうした“お互い様”の状況で「どっちがより酷いことをしたか」という議論を始めると、えてして感情論的な水掛け論に陥ります。こうした議論を始める人のペースに乗せられてしまわないよう、十分注意しましょう。
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